女川町誌
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と、波浪静穏大艦小艇の遊戈に適する所なり。政府も亦県会の議を容れ女川湾を以て宮城県の漁港と決せられたりと聞く、只財政緊縮の結果未発表せられたるのみ。女川湾は以上二箇の理由により国家として直ちに商港湾となし漁港となせば産業及交通政策上重要たるを信す、况んや女川は鉄道網可決せられ布設の早晩を争ふのみにして商港となすも他に国力を煩はすの要を視す、其の漁港の如きは前に掲くる所の如し、要は一日も早く鉄道を布設するにあるのみ。右提出致候条御詮議相成度候也大正十三年三月三日宮城県会議長矢本平之助港湾協会会長水野錬太郎殿同十四年二月二十五日牡鹿・桃生両郡各町村有志九百二十四名の連署を以て、貴衆両院議長・内務農商務大蔵各大臣に対し、女川港を漁港並に商港として国費を以て修築せられたき旨の請願書を提出し、同年三月両院に於て満場一致採択せられた。当時気仙沼と女川の対立により県会も二つに割れて抗争したのであるが、それが如何に根強いものであつたか本町会議員立候補挨拶にも鮮明に打ち出されて、今日から見れば誠に興味津々たるものがある。こゝに議席六期の元老植木新作氏が昭和四年四月に出した選挙の挨拶状を入手することが出来たから掲げて当時の町の趨勢を見る参考に供する。御挨拶国民多年の渇望たりし普通選挙も愈々実施の運びと相成昭和聖代最初の地方議会改選に当り、熱心なる先輩諸氏の御推挙もだし難く微力不才を顧ず候補を宣言仕候。顧みれば既往四年町議在任中情実を排し名利に走らず、一路町勢の振興と町会の権威発揚とに努力せしは聊か自信を持つものに有之、絶対中正の立場より善処進退せし事を確信仕候。今や我が女川町は塩釜魚市場の完成と、石巻河口改修、気仙189

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