女川町誌
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第五節女川漁港の設置運動一、漁港指定の意見書大正十一年七月には本県当局によつて、女川地峡開鑿に設計が立てられた。同年十一月には牡鹿郡女川始め渡波・石巻並に桃生郡十五浜の各町村有志七百九十九名の連署を以て、農務大臣及び本県知事に対し、女川を漁港として指定せられたき旨の請願書が提出された。(当時議長は町村長)次いで同年十二月県会議員亘理晋外四名が、県会に対して「漁港指定」なる意見書を提出された。抑々この意見なるものは、既に県会に於て女川説と気仙沼説とに対立し、その処理に困つての策であつたと思われるが、図らずもこの意見は両者の対立競争を激化する種子を蒔いた結果となつたのである。次にその意見書の内容を掲げ、その経緯を述べて見よう。漁港指定の意見書世界三大漁場の一たる金華山沖は、本県を中心とする一大水産区域にして此無尽蔵なる水産物の宝庫は、三陸沿岸の漁業者及福島・茨城・千葉・静岡等遠く出漁に従事する漁業者の奮闘努力に依りて開拓せられつゝあり、思ふに本県水産業の現状は政府並に県当局の保護奨励に依り漸次組織的経済的漁獲方法に依り長足の発達を見るに至りたるは邦家のため誠に慶賀すべき現象なりと雖も、金華山漁場に近接して漁業の中心根拠となるべき港湾に適当なる漁港設備なきは水産発展のため洵に遺憾とする処なり、本県女川湾は県の東端太平洋に突出し、石巻町を距る約十哩の地点に当り、横浜函館間五百五十浬の中間にして北部北海道に近く、米国航路を短縮し得べき東洋第一の位置にあり、湾口東北に面し湾内三面悉く山岳を以て囲繞せられ前面183

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