女川町誌
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るのでございます、是か即ち此の案が出た所以であります。之れを強制買収にしますると、地方鉄道法に依りまして一、七七二、七〇〇円と云ふ多額の金を払はなければならぬ訳でありますが、幸にも政府と会社との間に穏便な契約が出来まして一、〇六五・九五円五分利付の公債を発行して之れを買収することに致したのであります。此鉄道に付きましては元来鉄道布設法の豫定線路に当つて居る処でありまして、之を国家は買収して国有鉄道にして本線に敷き直す場合に於きましては表日本石巻港と云ふものと裏日本の酒田港と云ふものと相連関する所の横断の立派な鉄道に相成次第であります。尚此石巻港と云ふものにつきましては委員正木君よりも質問がありましたが、即ち此処に出入する所の船と云ふものが水尋の上川澪の上に於て吃水の大なる所の船舶を入れることが出来ないが、此点に関する政府の計画如何と云ふ御質問でありましたが、政府は石巻港を距る四里許りの所の女川と云ふ港があります。其処は立派な港であつて他日此の女川に相当の設備を作つて海陸連絡の最便利なる方法を講ずるものであらうと云ふことでありました。」 この報告によつて政府が他日女川築港を言明していることになる。二、女川地峡の開鑿計画大正十一年七月に至り、本県に於ては精細なる女川村鷲神地峡の開鑿設計書を作製し、牡鹿郡役所を経て本村に送付して来た。当時の設計書は明治二十年代の計画に同調したもので、その説明書は次の通りである。女川地峡開鑿工事計画説明書総論牡鹿郡女川村字鷲神地峡開鑿工事に関しては之が関係郡町村は勿論当局に於ても夙に見る所あり、暫々之が計画を企てたりしも不幸にして未だ実現の期に至らず、然も此の至難なる大工事は多くの時日と費用とを投し、精細なる調査の後に非らされば到底完全なる計画を立て得ず。然れとも此の国家的大工事を永く顧みざるは固より県の本意に非されば、大正十年度に於て大略の調査を行ひ其の結果に依り今回工事計画を目論見たるものなり。177

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