女川町誌
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ら貿易を盛んならしむるの経営あらんことを閣下に建言することを議決せり、盖我県は横浜函館の中間に位し商港の欠く可らさる自然の公論にして今玆に諜々を要せざるも、曩に野蒜築港の蹉跌に懲り人心挫折の結果は危惧の念となり、其発企を鈍からしむ其要を摘めは左の三点に帰するものの如し、曰く工費多額にして地方民力の堪ゆる所にあらすとするもの、曰く比較港多くして各地利害を異にし一定の地を揚く能はさるもの、曰く世態の変遷を慮り陸路の聯絡如何を顧み容易に手を下し難きもの、此等は其重なるものにして今尚遷延躊躇する所以なり、事情是の如くなるも本県会は之を忽諸に付す可らさるを確認し、頻年審議の末書状を具して屢閣下に建議し、政府亦技師を派し地方庁に詢とひ数回測量画策せられたるも、各地長あり短あり詮議十餘年未た其要領を得す、抑も前三者か之か障碍を為すと国家尚之より急なるものありて然るにあらすや、是に於て本県会は左の港湾を列叙し其中に就き取捨は一に閣下の撰む所に従はんとす。宮城郡松島湾桃生郡野蒜港牡鹿郡女川湾牡鹿郡本網湾附万石浦以上各地多少の利害なきにあらすと雖とも、斉しく仙台湾の一部倘くは接続の港湾にして、大体より論下するときは敢て甲乙を付すへき位置にあらす、啻規模の大小工事の難易あり頗る撰定の慎重を要す、敢て閣下に懇請する所以なり、然るに陸地の交通は鉄道の貫通其目的を達し中央縦線たる奥州鉄道は延ひて北海道に連接し、奥羽線更に山形、秋田を貫き青森に達せんとするの経営あり、逐次各支線の計画となり我県亦石巻鉄道を発起して今正に出願中なり、此線路や県界の大山脈を横断して両羽を連結し、奥州線と羽州線とを縫合して石巻港と酒田港との脈絡を貫通せんか為めに起るものにして、他日成功せは東北海岸と西北海岸に当る鉄路の両端は海港無二の門戸たるへし、而して陸路の便は海路を待ち海路の利は陸路を要するは自然の勢なり、陸路既に此の如し築港の業豈忽にすへけんや然るに昨来我帝国は新戦勝国を以て宇内に雄飛し大に海上の権を恢張すると共に外寇の虞を為さすんはあらす、故に各地の要塞は須らく其設備を怠る可らす、况んや我の以て行戦基地と為さんとするの地は敵も亦占めて根拠となさんと欲するの地なり、我陸前沿海頗る港湾に富む、若し一の鎖鑰を設備するなくんは仙台の師団甚危殆なりと云ふへし、前掲女川湾は軍港豫撰の其一にし175

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