女川町誌
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若し横断鉄道敷設せらるれば輸出入の貨物又石巻に集り来りて塩釜は忽ち寂寥を極むへし、商業上に於ける石巻の将来は非常に有望なり。而して本網の地位これに接近せり㈡商港は内地水路に連絡するを要す、北上川は岩手・宮城二県を貫流し石巻を両分して海に注く、其幹川支流舟楫の通する所を合算して航路長さ百七十三里餘と称す而して本網は其河口に近接せり。㈢商港は陸運に連絡するを要す、石巻を起点とする横断鉄道は小牛田に於て東北鉄道に連絡し、更に山形県船形に達して両羽鉄道に連絡する予定なり、該鉄道布設せらるれば秋田・山形・岩手及ひ本県の過半に輸出入すへき貨物にして海運に由らんとするものは皆これを利用するに至るへし、而して本網は該鉄道に連絡するを得。㈣商港は船舶入港の便なるを要す、石浜の如き野蒜の如きは太平洋に面して湾口を開き上風の方面に在るが故に其海岸に接岸すること容易ならざるも、石巻右方の沿海は下風の方面に位するを以て船舶の入港容易なり、且つ非常の暴風に逢着して一時の非難を求めんとする場合には、其傍近に荻ノ浜等の深湾ありて庇護の便を与ふ、而して本網は此便利を有せり。㈤本網の地形たる石巻を距る東南一里強にして万石浦の前面に位し、湾状弦形を為し東南一帯連岳囲繞し南端大崎岬少しく突角の状を呈し東南の激浪を防止するを以て、従来春夏の候風帆船の繋舶処として最も安全なるも秋冬の候は西北の風浪強く繋舶するを得さるの実況とす、水深は湾内概均三十尺餘とし、最も深き処六七十尺にて最も浅きも十七八尺を下らず、今や商港として大崎岬角より西北四百間餘と渡ノ波浜より西千間餘の突堤を築造し西北の風浪を全く遮断するときは湾内広濶にして最も適当の景状を有すへし。以上陳べ来りたる所に拠りて本網の商港に適当なる理由は略々明瞭せりと信ず、これ実に某等が七千餘名を代表して本網商港開築の請願を為す所以なり、其実測設計の如きは当局者の意見に決すへしと雖とも、実際の状況を詳かにせんが為め地図設計の概略を別冊に具せり、且本県々会が最近の建議案も参照の為め添付せり、伏して希くは商港開築の今日に最急なる所以を顧み、本県の状況を察して某等の請願を採用し速かに本網築港の事を挙けられんことを右謹て請願す。明治二十九年二月173

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