女川町誌
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明治十一年七月第十七号布告(法律)を以て、郡区町村編制法が発布され、府県の下に郡区町村を編成して毎郡に郡長、毎町村に戸長一人を置くことに定められた。次いで戸長選挙規則を制定し、また数町村連合して一人の戸長を配置し得る特令も発せられた。翌十二年五月には戸長処務規則を定め、次いで同十四年九月には戸長選挙規則を更正し、幾くもなくして戸長選挙手続を改正した。当時牡鹿郡内で戸長を置いた町村区域は次の十三であつた。1石巻村10月浦侍浜荻浜小積浜牧浜桃浦2湊村11浦宿針浜鷲神小乗浜高白横浦3門脇村野之浜飯子浜塚浜大石原浜女川浜宮ヶ崎4蛇田村石浜桐ヶ崎竹ノ浦尾浦御前浜指ヶ浜5大瓜村南境村高木村出島江島6真野村水沼村12十八成浜給分鮎川浜新山網島長渡7沼津浜流留村沢田村13谷川寄磯泊清水田鮫浦小網倉8根岸村大原9祝田浜佐須浜藩政時代に於ける牡鹿郡浜方三組の地域の中の十八成組は、鮎川と大原とを中心とした二つの管轄区域とし、狐崎組は荻浜、女川組は女川浜を中心とした一管轄区域として、各々に戸長役場を置いたのである。当時本県管内には戸長役場を置いた区域は四百余に達した。しかも創始時代なので、民選された戸長の智識・人物に等差が多く、往々にして事務の進行にも支障があり、瀆職疑獄の被告事件さえ突発する状態であつた。そこで同十142

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