女川町誌
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ので、この場合は部落の舟も皆出島の港に避難するのであつた。昭和八年に防波堤を築造して以来、船の碇泊に便利となつている。なお大正十五年に空中線架設により出島同様に電灯がつき、電話も昭和十五年以来架設されて島外との連絡に非常な便利を得ている。寺島部落民の生業(昭和二七年度調)78

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