女川町誌
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三、針浜浦宿を通る石巻街道から南に分れて、山の切通しを過ぎ万石浦の東海岸に出る。この辺の海岸平地を針浜と呼んでいる。この地方も万石浦に臨んでいるので、多少の水産業は行われているが、昔から農業と林業とが主として営まれて来た。この部落民の特長とする所は女の朝売りである。部落の女達が朝早くから隊を組んで、農作物や草花、または磯物などを荷負つて、女川の街に売りに出かけるのである。是等の女達の勤勉によりこの部落の家々は内福で、貧しい者はないとまでいわれて来た。一面男子も農業のかたわら木炭の製造とかカキの養殖に精出しているので、概して家々の生計は豊かである。なおこの地は古くから開拓された所で、古碑が多く、また伝説にも富んでいる。ここから女川町の最高峯大六天山(四四〇・三米)を仰ぐのみならず、大六天登山の登口となつている。四、女川・鷲神・小乗・宮ヶ崎・石浜この五聚落の地域は、古来女川町の中心となつて来た所で、現に女川港沿岸の中心街を形成している。特に女川町役場や学校、女川駅などのある所は女川浜で、この地は藩政時代には女川組二十浜の中心地で、葛西時代以来文政年針浜住民の生業(昭和二七年度調)66

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