女川町誌
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東京大学学長、 理博 茅誠司東北海区水産試験所長、理博 木村喜之助東京水産大教授、理博 久保伊津男東京水産大教授 熊凝武晴 前海鷹丸船長 東京水産大教授、理博 佐々木忠義 科研主任研究員 東京水産大教授、漁業学科長 篠山武次郎 海上保安庁水路部長、理博 須田晥次 東京大学教授、 理博 末広恭雄名古屋大学教授、理博 菅原健水産庁調査研究部第一課長 曾根徹外務省欧亜局第一課長 力石健次郎東京水産大教授、理博 新野弘日本海洋学会長 日高孝次 東京大学教授、理博 朝日新聞東京本社編集局長 広岡知男 東京大学教授、 農博松江吉行 東京教育大教授、理博 三宅泰雄科学研究所会長 村山威士二二、今上陛下の御巡幸 全国力を傾けて既に力尽き、B二十九爆撃機が東京に浸入して焼土化が始まり、広島・長崎の原子爆弾投下となり、不戦条約締盟国ソ連が違約攻撃となり、遂に御聖断が下つて無条件降伏をして満二年を迎えた。天皇陛下は東北地方を御巡幸されることゝなり、本県知事千葉三郎氏は御順路下検分の為め本町に来られ、更に金華山へも御案内申上げようと石巻―金華山、渡波―金華山(陸路)、女川―金華山の三コースを調査されてあつたが金華山方面は遂にお取止めとなり、塩釜・松島・石巻を御巡幸になり、女川町に自動車を以て御入御遊ばされたのである。時は昭和二十二年八月六日の午後三時十分であつた。最初に東北大学附属水産実験所に成らせられ、今井博士よりカキ養殖に関する研究等を申上げたるところ、顕微鏡をも手にせられ四十分餘の御視察を遊ばされたのである。やがて自動車に召され県漁連の魚市場にて親しく鰹大漁水揚の実況を県議会議員兼県漁連会長須田欣衛氏の御説明にて約十五分間御覧遊ばされ、御徒歩にて駅前に玉歩を進められたのである。 駅前広場には本町議会議員・同前議員・各種団体長、更に近町村をも含めた老年者・遺族等は蓆に座して前列に席をとり、一般民衆はその後方に立つて静粛に緊張して奉迎申上げた。陛下が市場を御たちになると今度は新町長木村主税氏がモーニング姿で鞠躬如として御案内申上げ、広場に陛下の御姿が見えると一同は一層静粛になつた。陛下は老人の前に或は遺族の前にお進みになり、御質素な背広姿でムギワラの一文字帽をば手にせられ、親しくそれ等の人々に御下問遊ばされた。御下問受けた人々に後日尋ねて見たら年令を聞かれ、いたわりの言葉を頂いたり、子供をどこの戦争でなくしたか、おこまりでしようなどとお慰めの言葉を頂いたのだが、お問いに対し何んと申上げたらよいか勿体なくて言葉が出なかつたと話して居た。陛下は 985 985

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