女川町誌 続編
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諸検査等を厳正に行い、安全性の確保に万全を期する」旨の回答があり、県知事はこれを了とし許認可事務の再開に踏み切った。以上の経緯を経て東北電力が建設準備工事に着手したのは同年九月三日、原子炉建設基礎掘削工事に着工したのは昭和五十四年十二月二十五日であった。 この一〇年、特に女川町漁協内部では原発をめぐって推進派、反対派の対立が険しくなり、重苦しい空気が流れ、時に識者の眉をひそめさせるような出来事もなかったわけではないが、それも事の重大さを考えれば無理のないことであったと思われるし、反対運動の意義も前向きの視点から評価されるべきであろう。幸い、原発建設が現実のものとなってからは、両者のしこりも急速に解けて、現在にその跡を感じることのないのは、本町にとって何よりの喜びとしなければならない。 第四節 原子力発電所建設と公共施設の整備 原子力発電の建設は国益として推進されてきた。したがって、その安全性については国も重大な責任を負っており、十分な配慮がなされていると信じてよい。しかし、原発建設地の住民にとっては、いかなる保障もそれが科学的に絶対でない限り、不安感の残ることは否定できない。そうした住民の不安に対して、国や電力会社は公共施設の整備促進により住民の生活向上に資する施策によって補償する以外に道はない。国は法律に基づく交付金で、電力会社は覚書による協力金でこの問題に対処してきた。女川原子力発電所の建設に当たり、これらの交付金、協力金を財源に本 65
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