女川町誌 続編
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ところが、チリ地震津波の際は震源が遠く、人々が地震を感じることがないままに大津波に襲われた。そこで、「地震があったら」はおかしいのではないかという議論がなされたことがある。しかし、チリ津波はマグニチュード九ともいわれる巨大地震が現実にあってのことであるから、それが体感されない遠隔地であっても、そのニュースが届いているかぎり、「地震があった」と考えるべきで、やはり「地震があったら津波の用心」が肝要である。 問題はむしろ、「大地震、、、の後には」の方にある。明治二十九年の三陸大津波の際の地震は、震度二から三のほとんど日常的な揺れであった。人々が「ヌルヌル地震」と形容したこの地震が、よもや二万二〇〇〇人と推定される犠牲者を出すような大津波を引き起こそうとは、思いも寄らぬことであった。 最近の研究で、断層の活動で起こる地震の波には周期の長い波と短い波とがあり、津波の発生には周期の長い波の方が深く関連し、体で感じる地震の揺れの大きさは周期の短い波の影響が強いことが判明したという。 こうなると、津波は大地震のあとという考え方は危険である。緊密な国際協力と進んだ研究結果に基づいた的確な警報が出されても、狭い個人の経験から警報を軽く見るようなことがあってはならない。「大地震」の「大」は忘れ去って、専門家の判断で警報が出されたら、何はともあれ、津波襲来を覚悟して避難の準備を心掛けることが第一である。 自然は人知の及ばない大きな力を秘めているものである。自然と共存する人間にとって、謙虚な心が身の安全を守る唯一の武器なのである。 ☆「女川ビル」|隠れた先見の明| 今でこそ魚市場、漁協、信漁連と近代的な建物に目を奪われがちであるが、海から女川へやってくる人々から、47

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