女川町誌 続編
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第二節 女川町議会緊急臨時議会及び協議会 津波発生の当日(昭和三十五年五月二十四日)、木村町長は離島振興諸事業に関する陳情のため、鈴木庄吉町議会議長と共に上京中であった。津波来襲の報を受けると、たまたま皇居清掃勤労奉仕で滞京中の婦人会員にも通報し、二人は即刻帰町して、ただちに緊急臨時町議会招集の手続きをとった。午後六時五〇分開会した議会は、停電の闇の中でろうそくのか細い光を頼りに、緊張した雰囲気の中であわただしく進められた。以下、緊急臨時議会と、引き続いて開かれた協議会の模様を生々しく伝える議事録から抄録して当時を振り返ってみよう。 木村町長は、まず津波襲来の通報を受けてから帰町までの経緯を報告したあと、次のように述べている。 本町に一人の人的被害もなかったことは不幸中の幸いであり、同慶の至りに思う。津波は今暁来現在まで第七波を数えたが、気象台は明朝までの厳重な警戒を呼び掛けている。被災に対する緊急の対策としては、伝染病発生の防止、交通路の早期復旧、及び火災の予防を第一と考えている。消防団幹部、女川警部派出所長の臨席も得ているので諸対策について万全の協議を願いたい。なお、明朝、区長・衛生組合長の合同会議を開いて、伝染病予防のための清掃・防疫、災害救助、その他末端行政に遺憾のないよう措置する。このうち、災害救助については特に県当局との緊密な連絡を必要とする。 電灯は感電のおそれがあるため、今夜だけ送電できない旨連絡があったので、夜間は消防団員四〇名と警察官が巡回に当たり、自衛隊員三〇名が町内一一ヶ所で警備に立つことになっている。陸上自衛隊員二七〇名が災害派遣として到着、駐屯している。 非常炊出しは、役場前一三俵、石浜地区六俵、中学校・保育所一〇俵、35

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