女川町誌 続編
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こうして書くと女川の思い出はつきる事がない。 小学校一年生に入学した時、「絵が上手ネ」と誉められた。それが私の絵を描くきっかけである。 アトリエに入ると悪戦苦闘をする。描く対象物を前にして、心が内へ内へと向ってゆく。それは自分の祈りの時でもある。 女川の自然を思い、そこで温かく包んでくれた人々、御指導下さった人々に深く感謝している。今、こうしていられる事は、そのお蔭であることに。 第三節 補遺 ☆明治七年の戸籍簿 本誌の編さん事業も最終段階を迎え、初校を終えてホッとしたところへ、ビッグ・ニュースが飛び込んできた。 平成二年立春 略歴 昭和十六年樺太(サハリン)の塔路町に生まれる。戦後、父の実家のある本町小乗浜に引き揚げ、女川一小、一中を経て石巻市立女子高を卒業。昭和五十三年、杉村惇画伯に師事。以後日洋展、河北美術展で入選、受賞を重ね、昭和六十三年、日展初入選を果たす。 現在、新日洋会、光旗会に所属、河北美術展招待作家に推戴され活躍している。巻頭に作品掲載。 石巻市史編さん委員三宅宗議氏からの電話で、明治初期の女川の戸籍簿がみつかったとの知らせである。同氏は本町の出身(照源寺住職太玄師の弟)で、宮城県の考古学会では著名の人である。 540
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