女川町誌 続編
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一五〇㍍の楕円形を呈しているという。上部にいくほど小さな輪になり、三~五㍍幅で高さ一・二~一・五㍍をもって頂部に至り、頂部は直径二五㍍の広さをもち、桃栽培用揚水槽やモーター小屋のため、破壊されている可能性が高い。輪段は北側で切れており、東側の一〇〇㍍×五〇㍍のなだらかな平坦斜面も桃園として利用されていた畑地である。 19 善五郎館跡(ぜんごろう) 〔別称〕善五郎屋敷 〔所在地〕女川町針浜字針浜 〔概要〕万石浦の東岸にある針浜の集落の入り口部から一・六㌖内陸に入った丘陵間の谷地形の緩やかな北斜面に位置している。標高一〇〇㍍で東西三〇㍍×南北四〇㍍の広がりをもち、空堀や土壇どだんにとりつくように石垣がみられるという。この遺跡の年代や性格を決めるものは何もなく不明な点が多い。 なお、この周辺には性格の不明なものが多く、検討を要する地域である。①遺跡内の北側に元禄年間(十七世紀末ごろ)の墓碑があること。②山道を針浜集落方向へ六〇㍍ほどくだった道端に、金山発掘が行われたという堅坑がある。坑を掘った際の廃石と思われる岩片が周辺に散在しており、針浜集落方向へ延びているという。これと関連して採堀したときに使用された石臼いしうすがあるともいう。③この遺跡のさらに上の南側山林に大規模な地形の変更があること。 また、『風土記御用書出』(安永風土記)に針浜に采女うねめという金掘りが居て采女屋敷があったと記されている。この内容との関係などについてもさらに調査が必要である。 文献 宮城県『宮城県史二六』風土記(一九五八) 紫桃正隆『史料 仙台領内古城・館』第二巻 (一九七三) 藤沼邦彦・小井川和夫他『日本城郭大系三』 宮城県(一九八一) 486
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