女川町誌 続編
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〔時期・型式名〕縄文時代前期(初頭、大木3、4、5、6)・中期(大木7a)・後期(南境みなみざかい) 〔人工遺物〕土器、石器―石鏃・石せき錐すい・石せつ匙ぴ・不定形石器・石斧・石せき棒ぼう・石せき錘すい・石せつ剣けん・凹くぼみ石いし・石いし皿ざら・有溝石製品、土製品―土ど偶ぐう(前期) 〔保管〕照源寺、女川町教育委員会、楠本政助 文献 楠本政助『矢本町史』第一巻・第一編先史(一九 七三) 三宅宗議『空から「考古する」』(一九九〇) 07 浦宿浜田遺跡(うらしゅくはまだ) 〔所在地〕女川町浦宿字浜田 〔概要〕浦宿浜の南東部にある丘陵先端に位置する。東西一〇〇㍍×南北五〇㍍の広がりをもつ。宅地造成などの土取りのため湮滅いんめつ状態で、現在崖がけになっている。 この崖から須恵器の甕の破片が数点採集されたという。詳細は不明である。 〔時期・型式名〕平安時代 〔人工遺物〕土器―須恵器 〔保管〕照源寺 08 十二神遺跡(じゅうにじん) 〔所在地〕女川町浦宿浜字十二神 〔概要〕浦宿浜の中程の南東丘陵下の低地に立地している。 十二神遺跡は、浜に突き出ていた南東丘陵先端部と低地を流れる沢の間に広がっている。標高二~三㍍の畑から縄文土器・石器・三角形状の扁平な土偶などの遺物が 458
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