女川町誌 続編
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〔人工遺物〕土器―縄文土器、弥生土器、土師器(坏つき・甕かめ)、須恵器(坏・甕)、土製品―土ど錘すい 〔自然遺物〕アサリ、カキ、獣魚骨 〔保管〕照源寺、宮城教育大、女川町教育委員会、東北大 文献 楠本政助『矢本町史』第一巻・第一編先史(一 九七三) 三宅宗議『空から「考古」する』(一九九〇) 03 唐松山下貝塚(からまつやました) 〔所在地〕女川町針浜字唐松 〔概要〕万石浦に突き出た唐松山(標高八一・八㍍)を頂点とする半島の先端部に緩やかな入り江がある。そこにさらに二〇~三〇㍍突き出た小さな丘陵状半島がみられ、標高一~一五㍍の台地上から南北両斜面にかけて本遺跡が立地している。東西二〇〇㍍×南北二〇〇㍍の遺跡範囲の中に、丘陵台地を挟んで北貝塚と南貝塚がある。 北貝塚の貝層はカキを主体とし丘陵の北東斜面に分布し、斜面の下のほうではかなり厚いようである。地表面では平安時代の須恵器、土師器がみられ、以前に縄文時代晩期の土器も確認されており、貝層は縄文時代と平安時代のものがあると思われる。なお、貝層中からはアメリカ式石鏃が採集されており、弥生時代の貝層の存在も考えられる。また、大型の薄い平底の製塩土器も採集されているが、時期は不明である。北側の浜辺でも潮が引くと摩耗した土師器や須恵器の破片が多数表採できる。 南貝塚は台地上から一段下がった南斜面にあり、波の侵食によってやや小さな入り江状になったアサリ主体の 451
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