女川町誌 続編
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第五節大学の研究施設一東北大学農学部附属水産実験所昭和三十五年(一九六〇)のチリ地震津波では、本実験所も床上九八センチメートルの浸水により、研究施設にかなりの被害を受けたが、復旧に努め、同年の学生実習を八月下旬にずらしただけで済んだ。昭和三十七年、女川町から小乗浜埋め立て計画が提示され、移転についての検討に着手した。町からは移転の候補地として竹浦のアワブク浜(方孔石の産地)と指ヶ浜が提示された。しかし、町の埋め立て計画は四十七年に至って廃案となり、実験所は現在地で整備を進めることに決定した。昭和五十三年、実験所建物を全面的に改築する計画案をまとめ、五十六年には建設小委員会を発足させてその実現に努めてきた。計画案作成から一〇年にして、ここ二、三年のうちには予算がつきそうな見通しになっている。この間、昭和三十九年(一九六四)のソ連科学アカデミー生態学部長ソロコフ博士、四十七年のカナダアルバータ大学動物学部長D・ロス博士など、著名な学者の来所もあり、実験所の存在は世界の水産、生物学関係者の間に広く知られるようになった。歴代所長は農学部教授が一ないし二年の任期で交代に就任しているが、その中で、昭和二十年代から三十年代を通じて所長、あるいは運営委員長として実験所の運営を指導された今井丈夫博士は本町にとって忘れられない人である。 370
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