女川町誌 続編
394/596

第三節 総合運動場及び総合体育館 昭和四十年代初頭に造成された町営グラウンドは、単に整地された広場といってよく、わずかに野球用のバックネットが目につくだけであった。校庭の狭さに悩まされた女川一中のテニス部や、バレー部が部員の手でコートを作って利用したり、町民が草野球やソフトボールに使用するのが精いっぱいで、それも雨後のぬかるみに難渋したものである。 五十年代に入って、生活水準の向上や余暇の増大と相まって、社会体育の振興が叫ばれるようになると、町民の間に総合運動場を求める声が急速に高まった。たまたま、原発建設が本決まりとなり、電源立地促進対策交付金を受ける見通しが立ったのを機に、子供から老人まで、町民のだれもが楽しみながら体育に親しめる充実した施設整備を行うことになった。 昭和五十二年度、町営グラウンド北西側の山林を買収し、総面積一八〇、二〇〇平方㍍の用地を確保、以後平成二年度に至る一三年間に、総合体育館、野球場、ゲートボール場、多目的運動広場、庭球場、フィールドアスレチック広場、ちびっこ広場、陸上競技場を設備し、県下に誇る充実した総合運動場を造り上げた。 野球場にはプロ野球二軍の公式戦を招致することもできたし、ちびっこ広場を核とする公園部分は、周辺市・町民のいこいの場としても知られるようになり、春秋の休日は多くの人々でにぎわいを見せている。体育館、各競技場は、 362

元のページ  ../index.html#394

このブックを見る