女川町誌 続編
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永沼 隼人 昭和三六・一〇~昭和四〇・八 木村勘三郎 昭和四九・一〇~昭和五七・九 和野 卓海 昭和三九・一〇~昭和四二・二 斎藤 正一 昭和五一・ 三~昭和五六・九 阿部 誠一 昭和三九・一〇~昭和四二・二 松田 慎一 昭和五三・一二~昭和五九・九 高橋 勝雄 昭和四〇・一〇~昭和四七・三 ○中村 英雄 昭和五七・ 七~昭和六三・六 ◎木村 達夫 昭和四二・一〇~ 木村 健士 昭和五七・一〇~ 安倍 久夫 昭和四三・一〇~昭和四七・九 鈴木 鵠三 昭和五九・一〇~ 〇津田 賢吾 昭和四六・一〇~昭和五七・六 木村 喜一 昭和五九・一〇~ ◎佐藤 春雄 昭和四七・ 七~昭和五一・三 ○星 鶴造 昭和六三・ 七~ 鈴木 孝平 昭和四七・一〇~昭和五三・一〇 ☆教育行政功労者、黄川田喜徳 木造であった戦前の町内小学校校舎の多くは故黄川田喜徳の施工によるものであった。 氏は明治二十六年 (一八九三)三月一日、黄川田深松の二男として岩手県高田市に生まれ、やがて一家を挙げて宮城県登米町に移り、そこで少年時代を送った。一五歳にして建築の道に志し、当時の徒弟制度の中で厳しい修業を積み、腕を磨いた。独立して郷里高田市に開業後、大正五年(一九一六)から一〇年間に及ぶ金華山黄金神社社殿の造営に参加したが、そ300

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