女川町誌 続編
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した小型三輪車も本町では四十七年の二台を最後に五十一年、統計上では姿を消した(イギリスの田舎では現在も三輪の乗用車が主に家庭婦人用としてかなり幅を利かしている。国民性の一面を反映するように思われて興味深い)。 マイカー時代の進行と並行して業務関係用の特殊車(リフトなど)の普及は昭和五十年代後半には江島・出島の離島にまで広がり、本町のモータリゼーションの特色のひとつとなっている。農村におけるトラクターの普及に対応するものといえる。また、水産加工の分野での冷凍工場の規模が大きくなり、鮮魚の出荷量も増大するにつれて、巨大な保冷車の通行が目立ち始めるのもこの ころからである。 交通事故は、信号機、標識、歩道橋の増設といった道路施設の改善・充実と、官民一体になっての交通安全運動によって、死亡者一万六七六五人を数えた昭和四十五年をピークに急速に減少し、五十一年以降しばらく死亡者は一万人を割るようになった。しかし、五十四年から 282
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