女川町誌 続編
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は一致して出島架橋促進期成同盟会の旗を揚げた。この同盟会は六十二年、町を挙げての組織として強化され、活発な運動を展開した。その結果、架橋を前提として、島内県道及び国道三九八号線に接続する、橋へのアクセス道路着工の見通しが立ち、出島架橋は実現に向けて大きな一歩を踏み出した。とはいえ、架橋を含む総工費は七五億という巨額に達すると推算されており、財政上の制約を考えれば、完成まで一〇年はかかろうといわれる。 こうした中で、架橋を待ちわびる出島の人々に大きな朗報がもたらされた。それは昭和六十二年六月の丸中金華山汽船株式会社による、新造双胴船レスポワールの就航である。快速を誇るレスポワールは出島・女川間の所要時間を 従来の二分の一(約二〇分)に縮め、便数も一日六便と大幅に増やした。この船の就航は積年の不便を一挙に解消しただけでなく、釣り人を主体とした観光客の入り込み増も期待されている。島民の喜びはレスポワールに与えた「出島の新幹線」の愛称によく表れている。架橋後の出島開発については、すでに青写真もできており、観光船としてレスポワールの果たす役割は架橋によって損なわれることはないであろう。 ☆女川郵便局 『女川町誌』第七節「女川町の通信」の女川郵便局に関する記事は、当時の現況に限られ、郵便為替の取り扱い年次に誤りもあるので、創設にさかのぼって補筆す277
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