女川町誌 続編
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第一節 交通・通信 本町の地形は、侵食された山地が地殻運動によって海水の浸入を受けて形成されたいわゆるリアス式海岸である。この地形は、後背地との交通だけでなく、海岸線沿いに点在する集落相互の交通にも厳しい制約をもたらし、道路交通の発達を妨げてきた。集落と集落は標高五〇㍍内外のいくつかの岬によって隔てられ、海岸線は絶壁の連続というのが普通であるから、陸路は人ひとりが辛うじて通れる急な坂道の上り下りの繰り返しになる。 「陸地くがち」から「陸かち」に、さらに転じて「徒歩かち」となった古語が、原義そのままに、「かづえぐ」(陸かちを行く)として、昭和三十年代末まで当地方の日常語として残っていた事実は、この地形に深くかかわるものとして興味深い。 陸路の不便を補う海路は、昭和初期から女川・雄勝間に定期航路(一日三便、所要時間二時間)があり、北浦・出島方面はその寄港便を利用できたが、三社各一日一便の運航で寄港地が異なるため、集落間は一日一便が実情であった。五部浦方面へは、女川・塚浜間(一日一便、所要時間一時間)、江島へは江島漁業組合(現江島漁業協同組合)の経営する定期便(一日一便、所要時間一時間)、の運航があった。これらの定期航路は、物資輸送上は沿岸集落の人々の命綱であったが、一日一便は日常の利用には不便であり、人々は依然として足に頼らざるを得なかった。 長い間こうした不便を強いられてきた人々も、戦後、自動車の普及により発達の歩みを速めていく内陸交通の便利さを見聞するにつけ、沿岸道路の拡幅と整備を望む声を次第に高めていった。人々の声を待つまでもなく、町当局も 274

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