女川町誌 続編
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現在まで、その歴史は実に七〇年に及び、本町のような環境での事業としては、県内だけでなく全国的にも珍しい例とされている。 大企業に占領されている現在の業界の中で、地方私企業の歩む道は想像以上に険しい。「それでも、地方に根を下ろした特色ある企業として、大企業には期待できない新鮮で良質の牛乳を供給できることを励みとして努力している」と、正義氏は語る。同氏がこの道に見いだしたもう一つの励みは、乳牛の品種改良の難しさにあったようで、カナダまで種牛を求めて出かけたこともあり、現有の約四〇頭はその種牛の血を引くものであるという。 ☆カキ殻からミネラル肥料 カキの養殖に伴ってどこでも問題になるのは、剝むき殻の処分である。投棄のほか考えられないまま、今も全国の養殖地で頭の痛い問題となっている。本町でも県道沿いに投棄された殻が夏になると悪臭をまき散らし、町民の眉をひそめさせたこともあった。小さな砂浜のいくつかはカキ殻の下に埋まってしまった。何万年後かには石灰岩の層になり、鍾乳洞ができて観光の目玉になるかもしれないなど、空想を楽しめなくもないが、現実はそんなのんきなことを言っている場合ではない。 この持てあまされているカキ殻の再生利用を考え、長い苦闘の期間を経て事業化し、奮闘している実業家がある。尾浦の千葉和郎氏がその人。同氏が着想を得たのは、まだ終戦後の混乱が続いていた昭和二十五年、利根川の河口、銚子の海岸に投棄されたカキ殻の山を目にした時であったという。この廃棄物にも何か利用の道はないものか。千葉青年の若い、柔軟な頭脳に宿った漠然とした疑問は、やがて、石灰質であるカキ殻の飼料、肥料としての再生という具体的な目標へと氏を導いていった。 いざ製品として世に出すことを考えるとなると、克服 267

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