女川町誌 続編
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四六〇万円を超す巨額に達していることを見れば、貨幣価値の変動を考慮してもなお、町が財政再建団体の指定を受けざるを得なかった事情が判然としよう。 昭和三十年度末の町税収納率は六〇㌫程度であり、同年度の施政方針の中で木村町長は、「本町が当面するもっとも困難な問題は納税成績の低下である」と指摘し、二〇〇〇万円に達しようとする滞納額が町政運営に重大な支障をきたすことを憂慮し、あらゆる方策をもって滞納の整理に取り組む覚悟であることを強調している。 以後、昭和三十九年度には八八・六㌫(県下七五市町村中七四位)に、四十年度には九七㌫と県平均の九六・五㌫を抜き二三位に、翌四十一年度は九九・二㌫で八位と目覚ましい飛躍を続け、四十二年度にはついに念願の一〇〇㌫を達成した。これは納税者への啓蒙けいもうを柱に、督促の励行、延滞金の完全徴収、強制執行の適正実施等、法定制度を活用しての納税秩序確立の努力の結果であるが、その陰には直接の担当者である税務課職員の血のにじむような献身の秘められていることを忘れることはできない。 やがて、昭和四十八年(一九七三)の石油ショック、五十二年の漁業専管水域二〇〇海里の実施などがもたらした、水産業界の長期化する不況によって業者の倒産が目立つようになって滞納者が増加すると、収税率一〇〇㌫の維持は困難になる。しかし、大きく崩れることはなく、一般会計の財政状況は毎年度黒字決算で、良好な状態を持続している。 昭和六十年度の各種会計の決算を総括してみると、歳入決算額は七一億六一七九万円(一般会計五三億二三二二万円、特別会計一八億一九六三万円)、歳出決算額七〇億五三三三万円(一般会計五二億三三七〇万円、特別会計一八億一九六二万円)で、歳入歳出実質収支は一億八六四万円である。これを前年度と比較してみると、歳入で二二・八㌫、 113
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