女川町誌 続編
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どについて関係者の間に不満の声が高く、町は、日本国憲法と同時に施行された地方自治法の第百五十五条の規定を準用して二十五年九月十四日、女川町出張所設置条例を制定、四四区に出張所長を置いた。この制度もまた本町の実態にそぐわない点があったので、四十一年四月一日、女川町行政区長設置条例(女川町条例第四号)を制定し、現行の行政区制度が発足した。この時の区数は四九であった。その後、旭が丘ほか三区の増設があり五三区に達したが、人口減少等の事由により、平成元年四月一日、抜本的統廃合と名称変更を行い、その結果、表6の四三区となった。 本町行政区の分割、新設等による変遷は昭和三十年代までについては「女川町誌」の歴代区長の項から知ることはできるが、鷲神、女川、浦宿、石浜については誤記もあり、理解し難い点もあるので、昭和二十年にさかのぼって、行政区の変遷を図示することにした(図4)。(北浦、五部浦方面は当初から変更がないので省略) 表5 歴代区長(平成元年現在)大 沢 阿部 留治(三五~三八) 阿部 文雄(三九~四二) 阿部 武治(四三~五二) 阿部 俊雄(五三~五六) 阿部 実(五七~六二) 阿部 寛(六三~ ) 浦 宿 一 阿部正五郎(三四~三五) 阿部蔵之助(三六~四六) 勝又 八郎(四七~五一) 勝又 勝造(五一~五六) 鈴木 万吉(五七~ ) 浦 宿 二 鈴木 喬( ~三五) 梶原 力(三六~四二) 伊藤 栄助(四三~四八) 宮元 金蔵(四九~六二) 鈴木 鵠三(六三~ ) 浦 宿 三 青木 末治(四八~五三) 高橋 卯一(五四~五五) 阿部ちよみ(五六~五八) 渡辺 慶雄(五九~ ) 旭が丘 一 阿部 進(五七~ ) 針 浜 阿部 礼治(三四~三八) 阿部 徳治(三九~四三) 木村 一郎(四四~四七) 木村 常治(四八~五三) 106
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